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伊勢迄歩講番外編2本番ブログ ごうちゃん

こんにちは。
夜読んでくださっている人は、こんばんは。

ごうです。

どんな人か覚えてないや知らないという人が、過半数だと思う笑。
わかりやすく言うと身長177cmくらいでピンクのズボンの人です。

なんか本番について300字以上書いてくださいとのことだったので今から書いていこうと思うが、いきなり本番のことをaboutで書いたところで150字くらいで終わってしまう。だからと言って本番についてだけを詳しく書いてもよくわからない内容になってしまってもおかしくない。なぜなら本番は結果でしかないからだ。試験があるなら人は勉強をする。それも本番を意識した反復でだ。自分自身でその形式に慣れることで、本番を楽しむ。本番はそれまでに下積んだことによって得られるものである。それにはそれまでの心情も関わってしまう。よって自分は順を追って下見やそれ以前のことやそれがどう本番のwalkingに関わってくるかなどを書こうと思った!

はじめに私たち学生スタッフは、関西圏の大学のユースホステラーズサークルに所属している。それは本行事が公益財団法人大阪ユースホステル協会が主催している点に起因しているであろう。なので自分は近大ユースに所属している。そもそもユースホステル?、そんなサークルがあるん?となってしまう人がいるだろう。ユースホステルは調べて下さい笑 サークルの方は、わかりやすく言えば旅行部?、修学旅行部?というふうに思ってもらっても何の支障もないと思う。

その近大ユースの方で、京都のユースホステルに泊まっている時に関学のユースの方々もたまたま宿泊しており、お風呂で声をかけ合った。そこでまず自分は関学の人との関わりを持つことができ、ちょくちょく連絡を取るくらいの仲ではあった。そんな何となくな間柄の関学の人(友達)からこの伊勢迄歩講の存在や誘いを個人的にもらった。その2,3週間後、近大ユースの連絡LINEにスタッフ募集の通知が来た。でも参加の意思を持つ人は、カラスが片手で数えられるくらいの数しかいなかった。自分も正直ぜんぜん未知のイベントで参加するかと言われたら参加しないと答えてもおかしくなかった。でも自分はすごい縁を感じてしまっていた。奇跡的に京都で出会った関学の人が参加するからである。この時点では伊勢迄歩講は、関学の人と会うための理由付け程度でしか思ってなかった。

そしてスタッフ同士の顔合わせの会議でどのようなメンツかを把握した。大学の種類としては5校くらいであったが、過半数を占める1回生の内訳を見ると3:7くらいで近大:関学という圧倒的覇権を関学が握っていた笑。でも京都で仲良くしてくれた人が参加してくれていたので友達メンツのようだったので幸いでした。でもこの時、若干のアウェイを感じていたのも事実である。

そこから下見へは、かなり日が空いたように感じる。それは近畿大学の文化祭をはさんだからかもしれない。下見は本来の170キロを5回に分けて行う。番外編で歩くところはしっかりと参加することが言われていた。最初の下見は、姫石の湯から大石バス停までを歩く。これはこれでしんどかったように感じるが、次の下見からは、あまり疲れを持たなかったので一度その距離や時間経過を味わってしまえば苦には感じないのだと思う。その根拠に170キロを過去に歩いたことのある先輩は全然よゆーと少しの嫌味込みで言っていた。知っている道だと歩きやすいのかもしれない。30km歩くことに対しては慣れてはいくが、大石から伊勢神宮内宮までの下見はしんどく感じていた。自分は、基本いや絶対に前日はバイトをしていた。日曜に下見がある時は土曜日の午前に家から往復で180分油そばで有名な(てか油そばしかメニューがない)きりん寺、午後はどことはあまり言えないかもしれないがやる気をonにする塾で働き22:30に新大阪ユースに到着する。このようなそもそもきつすぎるスケだったので疲れが溜まりやすかったのだろう笑。

この段階で1600字も書いてしまった。まだ本題の本番について触れていないのに笑。正直なところ他の人より多い文字数をめざしている節がある。本当はもっと書くことができるけど、ここが頃合だと思うので時間を最後の下見の日まで進める。

この時まで合計4回の下見だが一応、自分は参加の意思を示していた。だが1回だけバスケでの捻挫を理由に休んでしまった。本当は参加しようと思ったらできたが、捻挫した足は注意をしないとすぐにまた捻挫してしまう。なので休んだがこのことが自分の中でくすぐっていた。この最後の下見に参加する人は、自分を除けばこの道を歩いたことがある人しかいなかった。しかし自分は前日にワクチンを打っていたので案の定、当日の朝発熱や腕は上がらなくなっていた。ここで自分が休む選択をすれば、自分は人との約束を2回も放棄することになる。大学の友人との交流だったら休むのだろうか、、いや、休まないと思う。人で選ぶのは自分らしくないと思い自分は急いで下熱剤などの多くの薬を飲んだ。その3時間後、熱が下がった状態で目覚めた。そのまま下見グループと暗峠の前で合流した。今思えば体調は極めて良くなかったが、自分が参加することによってこの下見は意味を持つことができると考えただけで体は動いた。もちろん家に帰る頃には再び発熱してはいたが、それでよかったと思うしここで自分について少し理解できた。

ここまでで本番への伏線は十分に張れた気がします笑
もうここで終わってもいい気はするが、本番を書かないと「君こんなにも何書いてんの?」って言われそうなのでこれから本番について書きます。もう少し付き合って下さい。

本番前日、自分は歩ける自信は皆無に近いくらいであった。スポーツする人なら理解してもらえるだろうが、本番の倍練習する!ことが大切である。例えば、1500mを本番走るなら3000mを練習では走るものである。しかし今回はその逆である。55km歩くのに30km、つまり本番の約半分しか練習していないのである。これは言うならば練習不足である。これとは別の不安要素もたくさんあった。気候の変化である。下見はまだ秋であり寒さなど感じない穏やかな時期であり、本番の寒さを知らないのだ。また下見ではほとんどの人は歩くのに適した服装であったが、自分は普段長時間着ない服を長時間着ることに躊躇いがあって着ていなかった。それゆえ、スポーティな服装を過酷な本番でいきなり着るのは非常にリスクが高い。なので普段着ている服を着るしかなかったが、ここに1番の不安があった。バスケのズボンは別にするとズボンを2本しか持っていなかった。黒とダボつきあるピンクである。ここでの最適解は、1つしかないと思った。それは黒を履いた状態でのピンクである。他の人からしたら自分はピンクのズボンを好んでいるように見えていたかもしれないが服を増やすことに抵抗がある自分からするとしょうがない事だった。以上のズボンがピンク事情は、下見の時にも当てはまっている。また、自分は疲れるとご飯が喉を通らないので2日前くらいからかなり食べるようにしていた。サイゼリアが家の近くにあり、高カロリーを食べることでエネルギー充填することにした。このように自分は多くのことを考える節があるので、バックにはもしもグッズを多く仕込んでいた。なのでパンパンの大きいバックを担ぐことになってしまった。

本番は、自分は1講で終始歩くことになった。それは前から統括のみちろーさんに55km歩くなら1講を歩きたいと伝えていたので、それをしっかりと考慮してもらえたのはとても嬉しいことであったのと同時に自分の希望通りにしてもらったからには足を引っ張ることのないようにという使命感を持つようになった。実際歩き出すと一度歩いたことのある道は下見とは比べ物にならないくらい歩きやすかった。道も地図も見ずに歩くことができた。そのまま自治会館まで歩けた。足の調子も先輩の言ってた通り全然よゆーでした。ここからが個人的にはキツかったなと思う。夜で想定していたよりも暗く初めての道のようで一気に疲れが溜まり出した。だがまだ半分程度の地点でスタッフの自分が疲れを見せるのは、参加者さんの期待を裏切ることになる。ここで最後の下見の時のように理解した人が見る自分を演じることを意識しだした。この時の自分は平然とよゆーを持つことのできる自分を演じていた。でも田丸神社からはほんまに疲れていた。けど他のスタッフも今見えないだけで歩いていると考えると歩くしかなかった。色々あるけど参加者さんのおかげでへたることなく自分の本番は終わった。

本当は(伏線)もっと回収するはずでしたが長く書きすぎちゃいました笑。

とにかく皆さんありがとうございました。

     

近畿大学 1回 ごう(天音く アルマゲ・ドン・太郎三世)or(万家・ホームズ・カルマ・業・若武將リーダックス・バファロー・西響ストロベ3世人)

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